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昨日はゼミだったこともあって、おとといは研究室に泊まってしまった。
深夜0時くらいに集中力の限界が来て、休息しようと机の下にうずくまってみたもののなかなか寝付けず。書きたいことが浮かんできたのをいいことに、起きることに。エクセルの「形式を選択して貼り付け」の選択項目を探すのにやたらと時間がかかることに気づいて「やっぱりだめだ」と思ったのが午前3時。
ゼミ中は自分の発表が終わったとたんシャットダウン。
アロハさん、爺さんや社長のゼミ中はまるで、スクリーンセーバーとデスクトップを言ったりきたりするPCのような状態でした。
結論。
徹夜はまったくもって生産的ではない。
進んでいない状況を慰めるための免罪符のようなもの。
だめ、ぜったい。
今朝、佐川急便のおねえさんが届けてくれたバッハの平均律クラヴィーア、アシュケナージの演奏、3枚組み。第一巻Nos.1を聴いてうれしくなった。この曲、れんしゅうした・・・。自分の音楽にも少なからず、バッハが影響しているんだと思うと、ピアノをやっててよかったと思う。練習できる生活をさせてくれてた親にも感謝したくなる。大して練習してこない生徒にも、愛想を尽かさず教えてくれた魔女のような風貌の先生にも。
もうあと3年もすれば三十路。
そろそろ自分が与える番かと考えると身震いしてしまう。
・・・と同時にわくわくしてしまうね。
論文を書いてて感じること。
研究室の机に向かい続けていられる時間は短い。
集中力が途切れる
周りが騒がしくなって気が散る
同じ場所にいることに耐えられなくなる
まあ、そんな理由からラップトップPCを持ち歩いて作業するのがいいのかもしれないなー、と言いたいだけなのだが。
1日最低1回はコーヒーを淹れに、カフェコーナーで短いながらも場所と気分の転換をするわけだけど、そこからまた自席に戻ることに対して、引っかかっている。
ホントは、そのままカフェコーナーから風景を前にして執筆をして、煮詰まったらテキトウに雑談してから帰路につきたいのだ。不思議と歩いているときの方が、頭のなか話がでいろいろ勝手に展開していく。そして、家に着いたら、まず先にPCを立ち上げて忘れないように自分宛にメールを書くのだ。
場所を変える、移動する、といった一見すると煩わしく、作業を中断させそうな行動が思いがけず、作業を進める触媒のような働きをする。面白いじゃないの。
ふう。